01 古事記とは。はじめに

古事記とは、謎々で書かれた≪こころの原理論≫を、神話の物語でくるみ、歴史書風に仕上げたものです。

古事記の冒頭神話編が本来の古事記の内容です。心の在り方とその働きと運用法が原理の形で、比喩象徴的に綴られています。

心の運用は社会、文明世界の創造による歴史の運用に係わるものとなりますが、この歴史世界の運用には人の世界の資質と資材の準備と蓄積がまた必要となります。

心の原理を発見確定した古代には、目標予定希望等として人が文明を築くものという思いはあっても、材料となる物質条件は何もありませんでした。

そこで古代の心の原理の発見者であるスメラミコト達は、同様に心の原理から道引きだされる、変態擬態等の内容を秘めたままで形態を変えたり一時的に他のものに渡したりする心の在り方を、そのまま歴史世界に当てはめました。

つまり真の心の原理は隠没見えなくしておき、客観物質歴史条件が整うように、仮の実用的な有効な方法を用いさせ、歴史の運行を滞りなく進歩させる方策を示しました。

例えば、和語を漢語に変えて大和言葉の意味を隠しつつも、完全に意味を埋没させないように漢語の読みや意味から和語への橋渡しを残しておきました。

古事記の漢語による読みを排して、大和言葉に戻した読みにすると、本来の古事記の姿が浮かび上がってきます。

大和言葉による読みは、言葉の単音それぞれに意味実相を伴っています。

例えば、古事記の冒頭「天地」は、テンチではなく、「あめつち」 と読み、

あ 吾(ア)の

め 眼(メ)を

つ 付(ツ)けて

ち 智(チ)となす

私の智情意(ア)の、意識(メ)を、付(ツ・向けて)けて、相手対象(地・チ)に智恵(チ)として結ばれる、と読み下します。

その意識が固まった結果アメツチという本来の読みがテンチ(天地)となって、その現象がその人なりの天地(てんち)世界となります。

始めから現象結果であるテンチだけを扱うと、古事記はフルゴトを扱った宇宙歴史になってしまったり、天地テンチ世界の現象を扱うだけになってしまいます。

実は、古事記は古い事を扱うのではなく、意識の子現象である子(コ)事記、心(コ)と言葉(コ)の子(コ)の事を記したもので、吾の眼を(私の意識)付けるイマココの瞬時の今の事を記したものです。

それは意識の発生創造と運用の物語です。

この物語には人の心とは何かの原理的な解答から、この原理によって道引きだされる世界歴史の平和的な建設までの事が記されています。古事記そのものは千数百年前に書かれたものですが、根幹的原理思想は遠く古代の一万年前にはスメラミコトによって完成していたと思われます。

近年では明治天皇が触れられた後、消息が途絶え、敗戦によって研究が解禁され民間に広く伝達されるようになりました。

これは心の原理論ですから、個人の感性や思い付きで書かれるものではありません。また、学理としての知識概念になって歴史の成果となるものでもありません。広く世界文明創造の指針となるものです。

その原理規範は、「 あめつち (吾(ア)の眼(メ)を付(ツ)けて智(チ)となすべし 」で、その展開された姿は、「 あいうえお五十音図 」です。

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