2018.04 古事記の冒頭は精神現象学原論。 3
(言霊子音要素三十二神)
既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき。
これで意識の載る全領域が確保でき、実体と運用の意識が自由に活動できるようになりました。領域が確保できていないと単なる思い付きが流れるだけです。
ここからは言霊子音を現象として産んでいきます。まずタトヨツテヤユエケメの津島の領域です。
意識現象は古事記の記述通りに進展していき、先天構造のイメージ化から始まり、この先からは先天構造内のことではなく、まだ未熟とは言え先天から出て何らかの形有るものとしての扱い、まずイメージです。
次いでイメージの物象化へ、そして物化となり物質の形をとります。
先天神は独神で身を隠していますが、ここから更に生まれた神々は独神で現象神です。
子音はイ段の父韻(TYKMSRHNi)と母音(AEUO)のマグアイ(間の食い合い)でおきます。T+AでTA・タという具合に。
出来た現象子音は父韻と母音の内容を併せ持っています。と同時に子としての意識上の独立した内容を持っています。
以下三十二の神名がそれです。
かれ生みたまふ神の名は
大事忍男(おおことおしを)の神、言霊タ。
大いなる事、先天の精神宇宙全体がイメージ像として押し出されてきて言霊となる神名。
先天の精神宇宙の全体がそのまま手つかずでまずイメージとして現れた姿。
主体、主体の活動ではなく、主体と成るものです。大事が押し出されてきて、大事を起こさせるものです。
子音の初めの姿、最初の意識の現象です。と同時に子音生成経過の初めを現す二重の姿となっています。卵や種子、赤ん坊に親鳥や成長後の父母の性質や内容が備わっているように、またそれ自身は独自の内容を持つようにです。ですがこれは自然現象の経過としてではなく、意識の現象ですので意識の動因によるものです。
ではどのように父母から生まれながら、独立した現象となるのでしょうか。
それはここまでの先天の活動を母体としてそこで生まれた子音の活動が組み込まれることによってです。今後の三十二の子音の発生が一つ一つ個別の子音となりますが、そこでの子音が養われ育つからです。父母の内容を受け継ぐと同時に、そこに生まれた場所で子として育まれることになります。
意識の現象の中心に起きた大なる事が先天領域から後天領域に初めて昇ってきてイメージの核となる神(意識)
先天の構造体がイメージ物象化されました。意識されない先天が意識に載って仮にもイメージとなります。不定形流動的で、とらえどころの無い夢か幻のようなものです。それでも先天から飛出しているので大したものの誕生です。と同時に先天の構造体もイメージとなり大したものの誕生です。
では大したものとはどのようなものか。よい例が聖書にあります。
「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」
古事記は太初に先天十七神がきて、その働きと構造を知らしてくれますが、聖書では後天現象は神と共にあるとまとめてしまい、それが太初であるとしています。
ですので聖書では「神とともに在り」が大したものとなり、古事記のように先天十七神が大したものとなっていません。古事記のように神の実在と働きと構造が明らかとなってはいません。
また大事忍男は子として現象するので、当初から父韻母音のマグワイによる両者の性質と、それらによる選択の結果の独自性も持って生まれ、立ち上がります。
無いもの(先天)から有るもの(後天)への大事となりました。
大事の内容は次の神々により明らかとなります。
次に
石土昆古(いはつちひこ)の神を生みたまひ、言霊ト。
石は、イワで五十葉(イワ)。言霊五十音図
土は、ツチでツチカウ、培う。五十の間の喰い合い
毘古は、ヒコで男の働き。父韻。
大事忍男で意識の全体がまず田(た)として生まれました。全体とは五十音言霊の田・タです。母音父韻子音の全体が含まれたものですが、全体という内容を持った個別です。
田以外に子音の生まれる場所はありません。
そしてそこに、全体としての自分とは何なのだろうかという出自への思いが涌き出るや否や、石土毘古が誕生します。
田・タに誕生した石土毘古は独神として自らを現すには田そのものから成長要素を得る必要があります。
こうして用意された大事忍男の五十音言霊を養分として、独自の子音として培われ育ちます。
まずは初めて生まれたので大事忍男の全体の用意があるという個別性を持つだけです。次いで石土毘古の主体の活動が父韻として始まります。
五十の言霊要素はそろっているので、まず父韻列(主体側)の選択が行われます。
五十音図のト(十)といえば十個の縦列のことです。詳細はまだ識別されていません。そこでの列の選択によって意識の源泉である父韻が養われます。
どのように全体が生まれたのかその構成をみます。すると大事忍男が十の意識の違う父韻列から出来ていることに気付きます。意識の未だ活動していない時には、先天の構成は実在要素が先に考慮されましたが、子音の発生後にはそれの主体活動が主導します。
大事忍男が先天からイメージとして押し出されて来て初めの現象(イメージ)となったということは、そこに初めての記憶事象が出来たということです。そして記憶事象にいざなわれて反省が進行した時、自らの成り立ちを父韻から見る主体が成り立ちました。
こうして父韻の活動が成立します。
次いで実体要素に移ります。
次に
石巣(いはす)比売の神を生みたまひ、言霊ヨ。
石はイハで、五葉、実体を示す五母音世界。
巣はスで、住まい母屋、
比売はヒメで、秘められている。客体。
ここでの石、イハは五十ではなく五です。
毘古の主体が活動を始めると活動する実体内容が現れ客体を持つようになります。どの意識次元での活動かが現れます。意識次元を表す五十音図では意識は五次元で示されています。アイウエオの各段はそれぞれ、感情、意志、感覚、選択智恵、経験知識です。
意志そのものは現象としては現れないので、石巣比売の現われは言霊ヨ(四)です。横段です。
大事忍男が物事の全体として先天から現れ、田で養われ主体と客体を分かち合うと、毘古と比売に分かれ実体の中で主体の活動が出来るようになりました。
毘古が主体の活動を始めるとその活動が実は比売の実体世界に隠れていたものが現れることになります。と同時に比売の母屋を開け放ち、どの次元の霊芽(ヒメ)と主体の意図が、秘められていたのかも現れてきます。
かくして一連の意図に沿った主体となり自らの十の戸を開け歩けるようになりました。それは物事を創造していく時間的な経緯として現れ、それと同時に人間性能のどの空間意識次元のことなのかを明かすこととなります。
毘古の主体が活動を父韻を持って始めるとき、何れかの次元世界を開示します。
次に
大戸日別(おおとひわけ)の神を生みたまひ。言霊ツ。
大は、大いなる多くの戸、選択肢
戸は、言霊音図の五十の個別の
日は、霊、言霊
別は、個別化
大いなる言霊の個別の選択をする準備。
父韻の活動次元と母音世界の実在次元が明らかに開示され、次はこの両者をどうするかになります。
そこで始まることは父韻が母音に身振り手振りの動作を仕掛けることです。
主体の意図を突(つ)き出すことになります。
父韻は自らの動作が今現在のものか、過去から来たものか、未来へ行くものか、全体を見渡したものかを与え、母音は意識のどの空間次元、欲望感覚、情緒感情、学問知識、選択智恵、のものかを与えます。それらの選択は固有の物象化を成すと同時に多くの戸(言霊の物象化)を提供します。
多くの提供された戸はその一つが開かれなければなりません。
次に
天の吹男(あめのふきを)の神を生みたまひ。言霊テ。
天のは、主体の意図、吾の眼。
吹き男のフは、二つ、働く意図と載る実体。
吹き男のキは、言霊父韻と母音。
吹き男のヲは、父母によって出来た言霊客体。
天の吹男は、仕掛けられた動作の実際で、手を差し延べて選択し関係をつけるような形になります。
次いで父韻の選択が行われ、五十音言霊の取り込みになります。選択された父韻は自らの活動を現すためにそれが載る実在実体世界を探します。探したところで息を吹きかけるようにして実体世界に手を差し延べ選んでそれを甦らせます。
次に
大屋昆古(おおやひこ)の神を生みたまひ。言霊ヤ。
大屋は、大いなるイメージの構築物。
毘古は、構築物としての働き。
かくして実体世界が指定され父韻と結ばれて構築物、イメージとして矢面に立てられます。そして一つの構造物として動き働き出します。
次に
風木津別(かぜもつわけ)の忍男(おしを)の神を生みたまひ。言霊ユ。
風は、霊
木津は、物象イメージであるが霊を持っている
別は、別々に分けられた
忍男は、押し出して来る言霊
イメージ構造物の物象となりましたが、風は霊を表わし、木は体または物質を表わします。両者の性質を持ちながら、両者共に忍男としては押し出して来ます。
一つの建造物の如くイメージとなってまとまって来ましたが、霊と体(物質)との区別をチャンと持ちながら、それぞれの内容が次第に鮮明に押し出されて来ました、
次に
海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神を生みたまひ。言霊エ(ヤ行のエ)。
海、ワタ、は渡す。話し手から聞き手へ渡す。個人から公共へ渡す。イメージから物象へ渡す。
大綿は、大いなる相手に渡す。
津は、渡す手前の港、荷物の集積場。
見は、明らかに現れる。
個から公への入り口。話し手から聞き手へ入っていく手前で物象を得る。
次に
水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神。言霊ケ。
水戸は港。
速は速くすみやかに。
秋は明らかに。
津は渡す。
神名というのが幾つかの神に命名されています。
海(わた)の神名は大綿津見(わたつみ)の神
水戸(みなと)の神名に速秋津日子(はやあきつひこ)の神
風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神
木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ
山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、
野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神
海-言葉という広い海世間。
水戸-言葉を集約している港。
風-息。言葉は息に乗ってどこまでも。
木-気、霊。言葉は気、霊を宿している。
山-八間。言葉の八つの動韻が現れている。
野-五十音図。一つの言葉は五十音図のどれか一つを叩き鳴らす。
神名、かみな、は仮名、かな、で、神の家のこと。
言霊循環を図示します。小笠原孝次氏より引用。
⇒空の宇宙 ⇒先天(あな)十七音 ⇒吾の未鳴(まな)タトヨツテヤユエケメ(脳内イメージ) ⇒真名(まな)クムスルソセホヘ、物象化 ⇒仮名(かな)フモハ(大気中物質化) ⇒我汝の真名(まな)ヌ・ラサロレノネカマ ⇒真名(脳内)ナコ ⇒先天(あな) ⇒ 空の宇宙へ
仮名は物質世界ですが神の家、神名(かな)、です。
次に
妹(いも)速秋津比売の神を生みたまひき。言霊メ。
先天の意図がイメージへと変身しますが、言葉という物象にまだ成りきらない状態の、客体側です。
この速秋津日子、妹速秋津比売の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
先天の活動がイメージとなりました。続いてイメージの変身です。脳内からでて言葉という物質とむすばれ、言葉をつくります。次のクムスルソセホヘで言葉とむすばれます。
河と海に分けたとあります。
先天構造内の意識では触れることが出来ない活動の内容が、津島と呼ばれる宇宙内の位置に属する十言霊の働きによって、頭脳内の狭い通路を通り最後の速秋津日子・比売、言霊ケメに到って一つのイメージにはっきりとまとめられました。此処までが「河」に当ります。そして次の佐渡の島と呼ばれる位置に属す八言霊クムスルソセホヘの働きでイメージに言葉が結ばれ、口腔より発声されます。その口腔を広い海に譬えたのです。「速秋津日子、妹速秋津比売の二神、河海によりて持ち別けて生みたまふ……」とは以上の説明の如く、速秋津日子・妹速秋津比売までが河、次に生れる沫那芸・沫那美からは海と、河と海を持ち別けたという事であります。
沫那芸(あわなぎ)の神。
次に
沫那美の神。
次に
頬那芸(つらなぎ)の神。
次に
頬那美の神。
次に
天の水分(みくまり)の神。
次に
国の水分の神。
次に
天の久比奢母智(くひざもち)の神、
次に
国の久比奢母智の神。
▼▽▼▽▼▽ 以下未完 ▽▼▽▼▽▼
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次に
風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、
次に
木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、
次に
山の神名は大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、
次に
野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野槌(のづち)の神といふ。
この大山津見の神、野槌(のづち)の神の二柱(ふたはしら)、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、
天の狭土(さづち)の神。
次に
国の狭土の神。
次に
天の狭霧(さぎり)の神。
次に
国の狭霧の神。次に
天の闇戸(くらど)の神。次に
国の闇戸の神。次に
大戸惑子(おおとまどひこ)の神。次に
大戸惑女(め)の神。次に生みたまふ神の名は、
鳥の石楠船(いわくすふね)の神、またの名は天(あめ)の鳥船(とりふね)といふ。次に
大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、
(言霊運搬)
次に
火(ほ)の夜芸速男(やぎはやお)の神を生みたまひき。またの名は火(ほ)の炫毘古(かがやびこ)の神といひ、またの名は火(ほ)の迦具土(かぐつち)の神といふ。
(整理、初期客観規範)
この子を生みたまひしによりて、御陰炙(みほどや)かえて病(や)み臥(こや)せり。
たぐりに生(な)りませる神の名は
金山毘古(かなやまびこ)の神。
次に
金山毘売(びめ)の神。
次に屎(くそ)に成りませる神の名は
波邇夜須毘古(はにやすひこ)の神。
次に
波邇夜須毘売(ひめ)の神。
次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は
弥都波能売(みつはのめ)の神。
次に
和久産巣日(わくむすび)の神。
この神の子は豊宇気毘売(とようけひめ)の神といふ。かれ伊耶那美の神は、火の神を生みたまひしに由りて、遂に神避(かむさ)りたまひき。
(初期主体規範)
かれここに伊耶那岐の命の詔(の)りたまはく、
「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易(か)えつるかも」とのりたまひて、
御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらび)ひ御足方(みあとへ)に葡匐ひて哭(な)きたまふ時に、御涙に成りませる神は、
香山(かぐやま)の畝尾(うねを)の木のもとにます、名は
泣沢女(なきさわめ)の神。
かれその神避(かむさ)りたまひし伊耶那美の神は、出雲(いずも)の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆(ひば)の山に葬(をさ)めまつりき。
(初期の主体規範の創造)
ここに伊耶那岐の命、御佩(みはか)せる十拳の剣を抜きて、その子迦具土の神の頚(くび)を斬りたまひき。ここにその御刀(みはかし)の前(さき)に著(つ)ける血、湯津石村に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
石柝(いはさく)の神。次に
根柝(ねさく)の神。次に
石筒(いはつつ)の男(を)の神。
次に御刀の本に著ける血も、湯津石村(ゆずいはむら)に走(たばし)りつきて成りませる神の名は、
甕速日(みかはやひ)の神。次に
樋速日(ひはやひ)の神。次に
建御雷(たけみかづち)の男の神。またの名は建布都(たけふつ)の神、またの名は豊(とよ)布都の神。
次に御刀の手上に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、
闇淤加美(くらおかみ)の神。次に
闇御津羽(くらみつは)の神。
(客観表現)
殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、 正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。
次に胸に成りませる神の名は、 淤縢(おど)山津見の神。
次に腹に成りませる神の名は、 奥(おく)山津見の神。
次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。
次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。
次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。
次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。
次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。
かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
(客観世界の全貌)
ここにその妹伊耶那美の命を相見まくおもほして、黄泉国(よもつくに)に追ひ往(い)でましき。
ここに殿の縢戸(くみど)より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、
「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、吾と我と作れる国、いまだ作り竟(を)へずあれば、還りまさね」と詔りたまひき。
ここに伊耶那美の命の答へたまはく、「悔(くや)しかも、速(と)く来まさず。吾は黄泉戸喫(へぐひ)しつ。
然れども愛しき我が汝兄(なせ)の命、入り来ませること恐(かしこ)し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神(よもつかみ)と論(あげつら)はむ。
我をな視たまひそ」と、かく白(もお)して、その殿内(とのぬち)に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかねたまひき。
かれ左の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛(ゆつつまくし)の男柱一箇(をはしらひとつ)取り闕(か)きて、
一(ひと)つ火燭(びとも)して入り見たまふ時に、蛆(うじ)たかれころろぎて、
頭(かしら)には大雷(おほいかづち)居り、胸には火(ほ)の雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には柝(さく)雷居り、左の手には若(わき)雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴(なる)雷居り、右の足には伏(ふし)雷居り、
并せて八くさの雷神成り居りき。
(客観世界の整理とその反応)
ここに伊耶那岐の命、見畏(みかしこ)みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美の命、「吾に辱(はじ)見せつ」と言ひて、
すなはち黄泉醜女(よもつしこめ)を遺(つかわ)して追はしめき。
ここに伊耶那岐の命、黒御縵(くろみかづら)を投げ棄(う)てたまひしかば、すなはち蒲子生(えびかづらな)りき。
こを摭(ひり)ひ食(は)む間に逃げ行でますを、なほ追ひしかば、
またその右の御髻(みみづら)に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄(う)てたまへば、すなはち笋(たかむな)生りき。
(主体側の対応)
こを抜き食(は)む間に、逃げ行でましき。
また後にはかの八くさの雷神に、千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(たぐ)へて追はしめき。
ここに御佩(みはかし)の十拳の剣を抜きて、後手(しりで)に振(ふ)きつつ逃げませるを、
なほ追ひて黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に、
その坂本なる桃の子(み)三つをとりて持ち撃ちたまひしかば、悉に引き返りき。
(自覚)
ここに伊耶那岐の命、桃の子に告(の)りたまはく、
「汝(いまし)、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まむ時に助けてよ」とのりたまひて、
意富加牟豆美(おほかむづみ)の命といふ名を賜ひき。
(客観世界との決別)
最後(いやはて)にその妹伊耶那美の命、身みづから追ひ来ましき。
ここに千引(ちびき)の石(いは)をその黄泉比良坂に引き塞(さ)へて、その石を中に置きて、
おのもおのも対(む)き立たして、事戸(ことど)を度(わた)す時に、
(双方の言い分)
伊耶那美の命のりたまはく、「愛(うつく)しき我が汝兄(なせ)の命、かくしたまはば、
汝の国の人草、一日(ひとひ)に千頭絞(ちかしらくび)り殺さむ」とのりたまひき。
ここに伊耶那岐の命、詔りたまはく、
「愛しき我が汝妹の命、汝(みまし)然したまはば、吾(あ)は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。
ここを以(も)ちて一日にかならず千人(ちたり)死に、一日にかならず千五百人(ちいほたり)なも生まるる。
(客体世界の実在化)
かれその伊耶那美の命に号(なづ)けて黄泉津(よもつ)大神といふ。
またその追ひ及(し)きしをもちて、道敷(ちしき)の大神といへり。
またその黄泉の坂に塞れる石は、道反(ちかへし)の大神ともいひ、塞へます黄泉戸(よみど)の大神ともいふ。
かれそのいはゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲の国の伊織夜(いふや)坂といふ。
(身禊の準備)
ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きた)なき国に到りてありけり。
かれ吾は御身(おほみま)の禊(はらへ)せむ」とのりたまひて、
竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら) に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
(身禊の先天規範)
かれ投げ棄(う)つる御杖に成りませる神の名は、衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。
(身禊五神)
次に投げ棄つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、道の長乳歯(みちのながちは)の神。
次に投げ棄つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときおかし)の神。
次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累の大人(わずらひのうし)の神。
次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣(ちまた)の神。
次に投げ棄つる御冠(みかかぶり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
(身禊の主体規範の客観世界での働き)
次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、
奥疎(おきさかる)の神。次に
奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神。次に
奥津甲斐弁羅(かいべら)の神。
次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、
辺疎(へさかる)の神。次に
辺津那芸佐毘古(へつなぎさびこ)の神。次に
辺津甲斐弁羅(へつかいべら)の神。
(身禊の主体規範の主観世界での働きと身禊)
ここに詔りたまはく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は弱し」と詔りたまひて、
初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて、滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、
八十禍津日(やそまがつひ)の神。次に
大禍津日(おほまがつひ)の神。
この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。
(身禊の主体世界の実在化)
次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘(かむなほひ)の神。次に
大直毘(おほなほひ)の神。次に
伊豆能売(いずのめ)。
(身禊の主体世界の働き)
次に水底(みなそこ)に滌(すすぎ)ぎたまふ時に成りませる神の名は、
底津綿津見(そこつわたつみ)の神。次に
底筒(そこつつ)の男(を)の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
中津綿津見の神。次に
中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、
上津綿津見の神。次に
上筒の男の命。
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやかみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、
その綿津見の神の子宇都志(うつし)日金柝の命の子孫(のち)なり。
その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨(すみ)の江(え)の三前の大神なり。
(身禊の完成)
ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
天照らす大御神。
次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
月読(つくよみ)の命。
次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、
建速須佐の男の命。
(身禊規範の運用)
この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、
「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり」と詔りたまひて、
すなはちその御頸珠(みくびたま)の玉(たま)の緒ももゆらに取りゆらかして、
天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝(な)が命(みこと)は高天の原を知らせ」と、 言依(ことよ)さして賜ひき。
かれその御頸珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神といふ。
次に月読の命に詔りたまはく、「汝が命は夜(よ)の食国(おすくに)を知らせ」と、言依さしたまひき。
次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原(よなばら)を知らせ」と、言依さしたまひき。
--------------------------------------
『 故(かれ)、各(おのおの)依(よ)さしたまひし命(みこと)の随(まにま)に、知らしめす中に、速須佐(はやすさ)の男(を)の命(みこと)、依さしたまへる国を治らさずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至るまで、啼(な)きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。』
『 ここをもちて悪(あら)ぶる神の音なひ、さ蝿(ばへ)如(な)す皆満ち、萬の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。
故(かれ)、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何とかも汝(いまし)は事依させる国を治らさずて、哭きいさちる。」とのりたまへば、
答へ白さく、「僕(あ)は妣(はは)の国根(ね)の堅洲国(かたすくに)に羅(まか)らむとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。』
『 ここに伊耶那岐の大御神大く(いた)忿怒(いか)らして詔りたまはく、「然(しか)らば汝はこの国にな住(とど)まりそ」と詔りたまひて、すなはち神遂(かむや)らひに遂らひたまひき。』
『 故、その伊耶那岐大神は、淡路の多賀にまします。』
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「是の後に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、神功(かんこと)既に竟(を)へたまひて、霊運当遷(かむあがりましなんとす)、是を以て幽宮(かくれのみや)を淡路の洲(す)に構(つく)り、寂然(しずかた)長く隠れましき。亦曰く、伊弉諾尊功(こと)既に至りぬ。徳(いさはひ)亦大いなり。是(ここ)に天に登りまして、報告(かへりこど)したまふ。仍(すなわ)ち日の少宮(わかみや)に留(とどま)り宅(す)みましぬ。」(日本書紀。)
(以上、言霊規範の生成運用)