オ 心の運び方 言霊オの時置師

オ 心の運び方 言霊オの時置師

○-キチミヒシニイリ-○

言霊オの段階に埋没している人も、その探求する学問の究極においてはいつの日か宇宙全般を解明することができるであろうという希望は持っているかもしれないけれど、自己の本性即宇宙なる自覚は無い。図表の第一列が母音の自覚を欠き空白となる所以です。

キ) 父韻の配列の始めはキです。

何かの現象を見て疑問を感じる時、それを心の中心に掻き寄せる韻です。

チ) その疑問をいままで蓄積された経験・知識全体に照合して、

ミ) いままでの知識と疑問とが統合され止揚されるであろう理論を志向して、

ヒ) 言葉として組み立て、

シ) 検討されて正しいと心に決まれば、

ニ) その理論より行動の名目を立て、

イ) 行動し、

リ) 次の事態へと発展していきます。

○) この心構えもいま・ここの一瞬の中にそれ自体で完結した体系でなく、結論が次の疑問の始まりとなり際限なく続くものです。

ウ段と同様最終列の半母音の自覚を欠如します。

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言霊オの段階。

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この次元においての人間性能は、言霊ウ次元で行われた諸現象相互の関連性を概念をもって知識として理解することです。現象の起こる原因・過程・結果・をあらためて再構成して、その意味・法則を概念的にまとめる段階です。一般に学問することとはこの段階の性能のことであります。

言霊の勉強におきましても、言霊についての話を聞き、本を読み、知識として理解していく段階です。言霊原理は人間生命の営む一切の現象を成立させている根底の実在法則でありますので、言霊を勉強する以前に人生一般に関する知識広く身に付けていればいるほど、言霊を理解する上で有利であると言うことかできます。

商業や産業人の心理、学問をする上での思考方法、芸術や宗教の体験、道徳的実践への勇気と挫折等の経験が多いほど言霊理解に役立つことでしょう。しかし、これらの体験が少ないからといって言霊原理が縁遠いというわけでもありません。

この世の中に横たわる矛盾の洞察と理想社会への渇望が言霊勉学の一番の糧であります。ここで言霊を理解し、自覚運用する上で知っておきたい知識を得るために役立つ書物の名前を列記しておきます。

まず第一に古事記、日本書紀です。特にその中の神代巻は言霊原理の詳細な手引き書でありますゆえ、すぐには理解し難いことと思われても必ず読まれることをお奨めします。古事記と日本書紀とではその記述に相当の違いがありますが、その相違の意義についてはこの本の後章において説明されます。記紀双方とも神話というものが言霊原理の表徴、呪示する典型であることを読者は理解されることでしょう。

万葉集と古今集の歌本も一読の価値があります。和歌が敷島の道・言の葉の誠の道として、三十一文字をもって心情を吐露すると同時に、歌によってはその中に言霊原理を巧みに折り込んだものが見出されます。

ギリシャ・北欧・ローマ・エジプト等の神話もお読みになっておけば言霊の理解に役立つことは間違いありません。

日本・中国・東洋・西欧・世界等の歴史を読まれて年代順に大雑把にでも頭に入れておけば、言霊原理を理解されたとき、その原理によって歴史を再構築するうえで役立ちます。特に日本の歴史に関しましては戦前と戦後の日本史の双方読まれることを是非お奨めしておきます。(その意味は後章で明らかになります)

宗教も必読書です。神道では神道五部書、黒住、金光・天理・大本等の宗教教祖の遺稿やお筆先も興味のあるものです。

キリスト教では旧・新約聖書があります。特に旧約ではモーゼの五書・ヨブ記・イザヤ記・ダニエル記、その他新約はマタイ伝・ヨハネ伝・黙示録等は必要です。

仏教では般若心経・金剛般若経・浄土三部経・華厳経・維摩経・法華経等が有益です。その他の仏典では禅宗無門関・碧眼録・正法眼ぞう・歎異抄等々、多数が挙げられましょう。

中国の書にも有益なもの多数です。老子・孟子・易経・論語等がさしあたって数えられます。

インドのヨガ教典も役立ちます。その他各国の哲学書も有用なものでしょう。

以上列挙しました書物の中で手近なものから始められ、不明な点はそれぞれの導師に尋ねられて一応の理解を得、卒業されることが、言霊を自覚するための準備段階の知識として必要なことであります。

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正反合

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右のキチミヒシと続く心構え・心の手順のことを正反合の弁証法と呼んでいます。

概念的理論探求である限り必ずこの手順を踏むほかはありません。この弁証法を図示しますと、正反合の△三角形があてはまります。

△が形而上学的弁証法、▽が形而下的弁証法です。二つ組み合わされた形は大昔より「カゴメ」と呼ばれ、人間の考え方の一つのパターンを表してきました。

それは現象の分析を推進してそのかなたに完全な真理を発見しようとする帰納的方法です。このカゴメの形にちなんで大昔から歌われている童謡「カゴメカゴメ、カゴの中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀が出会った。後ろの正面だーれ」のひゆしている真の意味を紹介しておきましょう。

かごめ歌

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カゴメはいま説明しました弁証法的思考方法のことです。またそれは西欧的な考え方のことでもあります。鳥とは十理・トリで、ア・タカマハラナヤサ・ワと整った人間精神の理想的な心の鏡のこと。すなわち、同床共殿の廃止以来世界の科学的弁証法的思考一色の篭の中に閉じ込められている言霊の原理は、いつこの世の中に再び現れるのか。それは夜の闇すなわちこの末法の道徳的闇が一番濃くなる夜明け前の時に、鶴砂すなわち剣(天与の判断力の自覚体である天津イワサカ)と、亀すなわち鏡(人間精神の究極的理想構造を言霊の配列をもって示した五十音図言霊・天津ヒモロギ・ヤタの鏡)とが、一つの理論体系として人間の自覚の上に完成した(出会った)時である。あなたを実際にあなたたらしめているあなたの後ろの正面にいるのは誰ですか。・・・これが童謡の隠された意味であります。

大昔、五十音言霊図は粘土板に刻まれて焼き物にして保存されたため、これを瓶と呼びました。亀は瓶に通じます。

天津磐境・あまつイワサカ

天津ひもろぎ

(図表省略)