古事記「禊祓」について

古事記「禊祓」について ●古事記「禊祓」について・その壱

最近「禊祓」を実践する心の運びについて説明を求められた時、今一つその説明にシックリしない処があることに気付いたので、考え直してみた。すると肝腎の処が抽象的説明で通ってしまっていることに気付きましたので、更めて「禊祓」の心の運びの一つ一つについて出来る限り具体的な例を挙げて解説することにしました。今号以下の会報はこれを主題とすることとしましょう。

古事記の禊祓の文章は次の様に始まります。

ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔(の)りたまひしく、「吾(あ)はいな醜(しこめ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はわへ)せむ」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘 (たちばな)の小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

―ここを以ちて

伊耶那岐の命は自らの心の中で五十音言霊の整理・運用の方法を検討し、その結果として主体内のみではありますが、人間精神の最高・理想の心の持方である建御雷の男の神という精神構造を示す音図の作成に成功しました。

その上でこの自らの心の中だけで自覚した精神構造が広く客観世界に適用しても通用するものか、どうかを確かめるべく妻神伊耶那美の命がいる黄泉国、即ち客観世界の探究を事とする外国に出掛けて行ったのであります。

そこには客観的人類文化が建設初期で未完成な、しかも自己主張の騒がしい社会相が繰り広げられていました。その様を見た伊耶那岐の命は驚いて自らの主体的文化の確立している高天原へ逃げ帰って来ます。

そして追いかけて来た妻神伊耶那美の命と、高天原と黄泉国との境に置かれた千引石(ちびきのいは)を間にして向き合い、離婚宣言をしたのであります。「ここを以ちて」とは、以上の事を受けて述べられたものです。

―伊耶那岐の大神

一度黄泉国へ出て行き、今高天原に帰って来た伊耶那岐の命は、物事を自分の外に見る、即ち客観世界研究の黄泉国の乱雑で、自己主張の文化状況を見て、知ってしまいました。

普通なら黄泉国に観光旅行をして来た如くに、「あんな国もあったな」という一つの記憶として残すだけで終ることでしょう。しかし、人類文明の創造神である伊耶那岐の命はそれでは済まされません。

黄泉国の文化も、自らの責任である世界人類の文明の中に取り入れて、これを生かして行かねばなりません。どうしたらよいでしょうか。若し現代の政治家がこの責任を負わされたら、多分自分の裁量で外国の文化の気に入ったものを取り入れ、気に入らぬものを捨てて文明創造を進めることでしょう。

けれど言霊の神、高天原の主宰神である伊耶那岐の命はそのような手段を用いませんでした。その創造の原理は伊耶那岐の命の心中に既に確乎とした基本原理が、主体性としてのみの原理ではありましたが、建御雷の男の神として証明、自覚されていました。

ではそれはどんな方法だったのでしょうか。それは言霊原理の自覚者だけが成し得るユニークな、そして崇高な方法であったのです。

伊耶那岐の命は黄泉国へ行き、その客観研究とその態度を明らかに見て、その実相を知ってしまった人としての自分、しかも、それを材料として摂取し、それに新しい生命を与えて、人類全体の文明創造に取り入れて行く責任を負うた自分を、自らの行為の出発点としたのです。

このような伊耶那岐の命の心構えを主体の中に客体を取り込んだ主体と説明するのであります。そして黄泉国に出掛けて行き、その客観的に物事を研究する有様を見聞きし、高天原に逃げ帰るまでの姿を伊耶那岐の命と呼び、高天原に帰り、本来の主体性の真理の領域の主宰神であり、更に自らが体験した客体性の領域の文化を摂取し、これに新しい生命(光)を吹き込み、人類文明創造に役立つ糧と変えて行く責任を負う立場に立った伊耶那岐の命を伊耶那岐の大神と呼ぶのであります。

伊耶那岐の命が主宰する高天原精神世界も、伊耶那美の命の主宰である黄泉国客観的物質世界も、元はただ一つの生命宇宙であります。それに人間の思考が加わる瞬間、主体的宇宙(言霊ア)と客体的宇宙(言霊ワ)に分かれます。

分かれるから分ります。分かれなければ、それが何であるか永遠に分りません。これが人間思考の宿命と申せましょう。主体(言霊ア)と客体(言霊ワ)に分かれた生命宇宙が、再び人間の観想の下に一つに統合する立場に帰る唯一つの道、それが禊祓の行為なのだということが出来ます。

―吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり。かれ吾は御身の祓せむ。

現在の常識で解釈すれば、「私は大変穢(きたな)い汚れた国から帰って来ました。だから自分の身を浄めましょう」となります。

この解釈から現代の神社神道の水を浴びたり、滝に当ったりして自分の罪穢を払う所謂「身禊(みそ)ぎ」の行為となります。古事記の撰者太安万侶は、察する所、多分後世に於てはこの様に解釈されるであろう事を見越して、わざとこの様な文章にしたのでしょう。

そうなることが、言霊の原理がこの世に甦(よみがえ)る時までは、古事記の真意を隠すに都合がよいと思ったに違いありません。けれど、それはその裏に秘められた「言霊原理の教科書としての古事記の神話」の真意ではありません。

古事記の禊祓とは、高天原日本の天皇(スメラミコト)が言霊原理に則(のっと)り、外国所産の文化を摂取し、これに新しい息吹を与えて人類文明創造の糧に取り込んで行く聖なる政治の手法なのであります。個人救済の宗教的行事では決してない事を知らねばなりません。

そこで伊耶那岐の大神の禊祓が「かれ吾は御身の祓せむ」と始まることとなります。御身とは単に伊耶那岐の大神の身体というのではなく、主体的精神原理の自覚者が、客体的・物質的世界の様相を現実に見て、体験してしまった自分、その自分が既に知ってしまったという状況を出発点として、知ってしまったものを如何にしたら人類の新しい文明創造の糧として生かして行くことが出来るか、の問題を抱えた自分の身体、という意味であります。

伊耶那岐の大神は、かかる自らの身体を変革して人類文明創造の確実な手法を完成・自覚しようとして、禊祓の実行に入って行く事となります。

―竺紫の日向の 橘 の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原と長い地名が登場しますが、地球上の場所の名前なのではありません。この長い名前を解釈しますと、人間精神の一つの次元の構造を示す音図の事であり、精神上の場所の意となります。

この事は「古事記と言霊」の禊祓の章で詳しく説明しましたので、ここでは説明を省き、ただその地名が天津菅麻音図という伊耶那岐の命の本来の音図であることを確認するに留めます。

天津菅麻という五十音図表は人がこの世に生まれて来た時に既に授かっている大自然人間が持つ心の構造です。生まれたばかりの赤ちゃんの心の構造です。伊耶那岐の大神はこの本来の自分の心構えに立ち帰り、それを禊祓の行の基盤としたのであります。

どういう事かと申しますと、禊祓を始めるに当り、伊耶那岐の大神は自分自身は何の先入観のない、大自然の心に立ち帰り、その上で禊祓の行が進むに従って自分がどの様に変貌して行くか、を見定めようとしたわけであります。そして行を始めるに当り、種々の準備に入ります。古事記の次の文章に進みます。

かれ投げ棄(う)つる御杖(つえ)に成りませる神の名は、衝(つ)き立つ船戸の神。

次に投げ棄つる御帯に成りませる神の名は、道の長乳歯の神。

次に投げ棄つる御嚢(みぶくろ)に成りませる神の名は、時量師の神。

次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、煩累(わづらひ)の大人の神。

次に投げ棄つる御襌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣の神。

次に投げ棄つる御冠(みかぶり)に成りませる神の名は、飽昨(あきぐひ)の大人(うし)の神。

禊祓の行をするには、その行の指針となり、鏡となるものが必要です。それを杖と言います。判断の基準です。ここでは勿論、伊耶那岐の命が先に自らの主観内に完成した最高の規範である建御雷の男の神の音図のことです。

伊耶那岐の命は自らの主観内真理として自覚したこの音図を、実際に黄泉国の文化に適用しても誤りないか、どうかを確かめ、自らの主観内真理が、主観内と同時に客観的に、即ち絶対の真理として通用するかを確かめるために黄泉国に出掛け、また禊祓の行を遂行したのです。その打ち立てた大指針としての建御雷の男の神の五十音図を衝立つ(斎き立つ)船戸の神といいます。

次に伊耶那岐の大神は、摂取する黄泉国の文化の実相を見極めるために、五つの観点を準備します。

道の長乳歯の神(物事の連続性・関連性を調べる基準)、

時置師の神(物事の五十音図に於ける時処位を量る基準)、

煩累の大人の神(物事のどちらともとれる曖昧さをなくし、はっきりさせる基準)、

道俣の神(物事の区分けをする明らかな分岐点を見つける基準)、

飽昨の大人の神(物事の道理を明らかに組んで行く為の基準)

の五観点の設定であります。

この五つの観点からの観察によって、摂取する黄泉国の文化、産物の実相を明らかに見定めることが可能となります。

以上のように、先ず禊祓の行の方針を打ち立て、更に摂取する外国文化の実相を見極める基準を定めて、禊祓の準備は終り、いよいよその実行に入って行くこととなります。

●古事記「禊祓」について・その弐

古事記の文章を先へ進めます。

次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎(おきさかる)の神。

次に奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神。

次に奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。

次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、辺疎(へさかる)の神。

次に辺津那芸佐毘古の神。次に辺津甲斐弁羅の神。

禊祓の実践がこの文章から徐々に動き出します。古事記の文章の謎解きは「古事記と言霊」の中で詳説されておりますので、ここでは省きます。左の手の手纏(たまき)とは菅麻音図の向って右の五母音アオウエイになります。

反対に右の手の手纏とは、音図の向って左の五半母音の並び、ワヲウヱヰとなります。物事の動きは母音に始まり、八つの父韻で示される経過を経て、半母音で終熄します。奥(おき)は起で、陽性音で、初めの事。辺(へ)は山の辺の言葉が示す如く、陰性音で、終りのことです。

そこで奥疎(おきさかる)とは疎るが遠ざけるの意でありますので、初めの方に遠ざけるという意味になります。反対の辺疎(へさかる)は終りの方へ遠ざけるの意味です。とすると、奥疎、辺疎とは実際にはどういう事をするのでしょうか。

先に述べましたように、禊祓は「黄泉国の文化を知ってしまった伊耶那岐の命」から始まるという事でした。これを更に解説しましょう。

伊耶那岐の命は黄泉国へ出掛けて、そこで物事を客観的に探究する方法とその成果、またそれを真理と主張する有様を目の当たりにして、その上で高天原に帰りました。そこで黄泉国の文化を摂取して、人類全体の文明を創造して行く究極の方法の完成に取り掛かります。

その理想の方法とは、黄泉国で行われている如き、自分自身の外に他の文化を客観的に見るのでなく、それを見、また体験して来た自分自身として見る事でした。即ち主体が客体を取り込んだ主体を見ることから始める、という方法であります。

それはまた普遍的な愛(アガぺ)の心に基づいて他者のことをあたかも自分自身のことの如く思う者の態度・方法と言うことが出来るのでありましょう。この立場から奥疎、辺疎を説明することとしましょう。

伊耶那岐の命は高天原から黄泉国へ出掛けて行き、その客観的文化を体験し、高天原に帰って来ました。そして伊耶那岐の大神として、体験して来た外国の文化も自分の責任に於て摂取して行こうとします。禊祓の開始です。

この開始の時には、摂取しようとする他の文化は、自分の心中にあっても、今までの伊耶那岐の命の心には初めて出合った、何か違和感のあるものと思われるでありましょう。

禊祓はそのような違和感を感じている自らの状態から始めることとなります。禊祓の指針として衝立つ船戸の神(建御雷の男の神)を掲げ、道の長乳歯の神以下五神の観点から他文化の実相を把握して、これから禊祓を始める出発点に立った時の伊耶那岐の大神自身の心の状況の確認、これが奥疎の神であります。

禊祓開始の時のわが身の状況の確認がその後の作業を正確に、また 滞りなく進める必要欠く可からざる条件であります。

奥疎・辺疎を初めとして禊祓に登場する神々の名前はすべて伊耶那岐の大神、即ち「禊祓とは」とお考えになる読者御自身の心の中の出来事でありますので、御自身が禊祓の当事者になられたつもりで御自分の心を見詰めて頂きたいと思います。

―次に奥津那芸佐毘古の神、辺奥津那芸佐毘古の神の説明に入ります。

神名の文字を解釈しますと、出発点の実相から結論に向う(奥津)すべての(那)芸(芸[わざ])を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります。また結果(辺)へ渡す(津)すべての(那)芸(芸)を助ける(佐)力(毘古)の働き(神)となります。

伊耶那岐の大神は黄泉国の文化を世界文明創造の糧として取り込み、その実相を見極め、そうした自分を変貌させて文明創造にまで行き着かねばなりません。この時、出発点として他文化を抱え込んだ自分を変貌させて行くすべての方法(芸)を助(佐)ける力が必要です。

自分を変革して行く原動力となるものが必要となります。出発点の自分を動かす原動力となる力、これが奥津那芸佐毘古の神であります。またこの自己変貌は結果として文明創造のイメージを実現させるものであるべきです。これを辺津那芸佐毘古の神と言います。

―次に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神に移りましょう。

先ず文字の解釈をしましょう。奥津は始めの状態から出発して結果に向って渡して行く、の意です。辺津は結果として完成するよう渡して行く、となります。

甲斐といえば、今の山梨県を指す昔の地名です。けれど此処では単に山と山との間を指す峡の意であります。弁羅は何とも分らぬ漢字が当てられているので戸惑いますが、真意は「減らす」の意。

何を減らすかといいますと、禊祓の出発点となった、異文化を体験した伊耶那岐の大神の禊祓を始める出発点の状態(奥疎)から禊祓の完成する結果に向って動き出すすべての芸を助けて行く力となる言葉(奥津那芸佐毘古)と、結果として完成させる芸のすべてを助ける力の言葉(辺津那芸佐毘古)との間を減らして、双方を一つの言葉としてまとめる働きのことであります。

始まりの状態を変革して行く働き(奥津那芸佐毘古)と、結果として完成させる働きとが、その両者の相違する間が減らされ、取り除かれて一つの言葉にまとまる事が出来るならば、禊祓の行は成功間違いなしとなります。

一連の言葉によって始めを動かし、終りにまで導いて行く力を持っているならば、事は自ら成立するでありましょう。ではそのような言葉とは如何なる言葉であるべきなのでしょうか。

何度も繰返しますが、伊耶那岐の大神は、その前に黄泉国へ行き、その客観世界を探究する文化とその態度を体験し、高天原に帰って来ました。そこで黄泉国での体験の記憶を我が身の内のものとの責任感から禊祓を始めました。

目指すは人類文明創造です。こうお話しますと、お分り頂けるでありましょうが、始まりは大神の黄泉国に関する記憶です。これは過去の記憶として言霊オに属します。

そして大神はその黄泉国の文化を摂取して、人類文明創造の糧として新しい役割を与えようとする作業に入ります。これは将来の文明創造であり、将来のものとして言霊エに属します。

過去のすべてを自らの内に受け留め、これを土台として将来を創造する原動力、それは今・此処の生命意志即ち言霊原理に基づいた言葉(光の言葉、霊葉[ひば])でなければならない筈です。

以上、禊祓の奥疎、奥津那芸佐毘古、奥津甲斐弁羅、辺疎、辺津那芸佐毘古、辺津甲斐弁羅の六神について説明をしました。

この六神が伊耶那岐の大神の御身(おほみま)の祓(はらへ)による人類文明創造、即ち禊祓という作業を人間精神内の心理の経緯として説明したものである、ということを御理解頂けたのではないでしょうか。

そして古事記は伊耶那岐の大神の心理の経緯として画き出した禊祓の行法を、次に人間精神内の言霊の動きとして解説し、言霊学という、主観的真理であると同時に客観的真理でもあるもの、即ち何時、如何なる事に適用しても決して誤ることのない絶対的真理の證明と確認を完成させる章に入って行く事になります。

古事記の禊祓を以上にようにお話いたしますと、撰者太安万侶は禊祓の行を三部作として説いた事が分って来ます。

―第一章は、伊耶那岐の命が心中に於て建御雷の男の神という主観内真理を確立し、この客観的證明を求めて高天原から黄泉国へ行き、その物事を客観的に見る文化を体験し、高天原に逃げ帰るまでであります。

帰る途中、伊耶那岐の命は十拳の剣を「尻手に振って」います。黄泉国の文化を帰納的に高天原の原理に照らし合わせる作業はここに始まっていることが分ります。禊祓の第一章は高天原の伊耶那岐の命、黄泉国の伊耶那美の命の二大文化圏の交渉物語として説かれます。

―第二章は伊耶那岐の大神に始まり、辺津甲斐弁羅の神に終る禊祓の人間精神内の心理の経過を綴る物語であります。

この第二章に於て太安万侶は禊祓の大法を説くための準備となる人間の心理状況を必要にして充分に展開、説明します。その簡潔にして細やかな心遣いが汲み取れる見事な章であります。

―第三章は禊祓の本番の章です。第一、第二の章の状況を土台として、禊祓を百パーセント言霊五十音の動きとして捉え、心の隅々まで残す事なく言霊を以て解明し、一点の疑義のない言霊学の総結論に導く章であります。

太安万侶が千三百年後の日本人に、自らの心のルーツを思い起こさずには置かず、と遺した乾坤一擲の大筆業でもあります。

●古事記「禊祓」について・その三

先月号の会報の終りに古事記神話に示される禊祓の行法が三つの段階で書かれていると申し上げました。

第一段階は伊耶那岐の命と伊耶那美の命との交渉による黄泉(よもつ)国物語であり、第二段階は黄泉国より高天原に帰還した伊耶那岐の命が、黄泉国に於ける体験を踏まえて、「我即人類、人類即我」の立場、言い換えますと、高天原も我、黄泉国も我が責任という精神的立場である伊耶那岐の大神となって、黄泉国で生産される客観的文化を摂取し、これに新しい生命の息吹を与えて世界文明を創造して行く瞬間々々の伊耶那岐の大神の心理の過程を明らかにした心理学的な文章であります。

以上の第一段階の伊耶那岐の命の黄泉国の体験、第二段階の伊耶那岐の大神となって黄泉国の文化を取入れ、世界文明創造を行う大神の心理過程が、果たして確実に世界文明創造を可能にするか、を大神の心を構成する五十音言霊図上の動きとして検証するという禊祓の最終段階が始まる事となります。

この検証が成功するならば、日本語の語源であるアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理が地球人類の文明創造を可能にする必要にして充分な真理であり、人類唯一の精神秘宝であることが証明されるのであります。

文章が少々堅くなったようです。これも言霊学の総結論の徹底解明を目指す私の意気込みと緊張のためでありましょうか。

先にお話しました「我即人類、人類即我」などと言いますと、ともすると「人類はわが所有(もの)であり、我は人類を思いの侭にする」という傲慢な専制主義者の言葉と思われるかも知れません。

けれど古事記の神話を教科書とする言霊学の全編をお読み下さるならば、この「我即人類、人類即我」という言葉が傲慢とは正反対な、謙虚さと愛と、人間生命の根本構造に根差した真理の言葉であることに気付かれるでありましょう。以上、前置きはこの位にして、古事記「禊祓」の真意義の解明に入ることといたします。

伊耶那岐の命は自分の心を内省することによって人間精神の最高の構造を発見しました。これを建御雷の男の神といいます。

そしてこの自覚した主観内真理が、客観世界の文化を摂取して人類文明を創造して行く上でも通用するものか、どうかを確かめるために黄泉国へ出掛けて行き、その物事を自分の外に見る客観世界の実状を体験して、高天原に帰って来ました。

そこで伊耶那岐の命は自らの主観内真理を指針として黄泉国の客観的文化を摂取し、その内容を取捨することなく生かして、人類文明を創造することが可能であるか、どうかの検証に入ることとなります。

この場合、自己内に主観的真理である建御雷の男の神を確立し、その上で黄泉国に出掛けて行って、その客観的文化を体験し、高天原に帰還するまでが伊耶那岐の命であり、高天原に帰って、自らの主観内真理の他に黄泉国の文化を知ってしまった伊耶那岐の命(自分自体)を出発点として、人類文明創造に取り掛かる伊耶那岐の命が伊耶那岐の大神と呼ばれるのであります。

古事記の最終結論に導く行法の検証を始めるに当たり、その出発点の状況をもう一度確かめておく事にします。

古事記は禊祓の開始に当たり「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊祓へたまひき」とありますから、伊耶那岐の大神は神自らの音図である天津菅麻音図の心になって臨まれた事となります。

即ち何らの先入観のない白紙の心であります。そして禊祓実行の指針として自らの主観内に自覚した最高の心構えである建御雷の男の神を斎き立てました(衝立つ船戸の神)。

更に大神は自らが黄泉国に於て見聞・体験した諸文化の真相・実相の把握に必要な五つの観点(道の長乳歯の神以下飽咋の大人の神までの五神)を設定しました。

かくして禊祓実行の方針と摂取した外国文化の実相の把握とを確実にした上で、その自らの状態を出発点として禊祓に入って行くのであります。

禊祓の実践に入り先ず初めにした事は、先入観のない心が外国の文化を見聞・体験した時、自分の心はどの様な状態になったか、を明らかに知ることであります(奥疎の神)。

すると自らの心に斎き立てた衝立つ船戸の神という指針は明らかに禊祓の行法を経て最終的に如何なる結果となって収拾されるか、が定まります。「結果はこうなるな」という予測が行われます(辺疎の神)。

次に考えられるのは、最初の状況から出発して結果の方向へ事態を変えて行くために必要な手立ては何か(奥津那芸佐毘古の神)です。

と同時に考えられるのは、予測された結果を招来するための手段(辺津那芸佐毘古の神)です。

次に考えるべきは最初の状況を動かし(奥津那芸佐毘古の神)、結果に導く(辺津那芸佐毘古の神)二つの手段は実際には一つの言葉として働くこととなります。

そのためには双方の手段は別々のものでなく、一つの言葉にまとめられなければなりません(奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神)。

以上の六神で示される伊耶那岐の大神の心中の成り行き(経過)を確実に進行させる原動力となる言葉とは如何なるものか。

外国の文化を体験・摂取して、伊耶那岐の大神自身が変身して新しい文明創造の主宰神となるための必要にして充分な原動力とは如何なるものか。この問題が今回の会報の主題となるわけであります。

●古事記「禊祓」について・その四

古事記の新しい文章に入ります。

ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速(はや)し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。

この文章以後の古事記はすべて伊耶那岐の大神の行動を五十音言霊図またはその言霊図内の言霊の動きによって表現していることを念頭においてお読み下さい。

今まで全く知らなかった黄泉国の文化とその様相を体験してしまいました。この自分は、自分本来の菅麻(すがそ)音図を行動の舞台として、衝立つ船戸の神という指針を掲げ、どう変身を遂げれば黄泉国の文化の実相を損(そこ)なうことなく人類文明の中に取り入れることが出来るか、の検証に入りました。

「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」

伊耶那岐の大神は自らの心の変転を自らの音図(菅麻)のどの次元で検証したらよいか、を先ず考えました。

菅麻音図の母音は上よりアオウエイと並びます。人間の心の動きはアよりワ、オよりヲ、・・・と母音より半母音に向う川の瀬の如く変化します。

上つ瀬とはアよりワに流れる感情次元の動きのことです。この感情次元の心の流れの上で自らの変身を考えることは変化がありすぎて適当ではない。人類文明創造は高度の政治活動であり、これを感情次元で取扱ってはいけない、という事です。

では下つ瀬ではどうか。下つ瀬はイよりヰに流れる意志の次元です。言霊が存在する次元です。「下つ瀬は弱し」、言霊原理そのものを論議していては何時まで経っても事態は変わって行かない。このイ次元も文明創造を考えるのに実際的でない、不適当である、ということになります。そこで――

初めて中つ瀬に堕り潜きて滌ぎたまふ時に、

菅麻音図の母音の並びはアオウエイでありますから、その上つ瀬のア―ワ、下つ瀬のイ―ヰを除くオウエ、即ちオ―ヲ、ウ―ウ、エ―ヱの瀬が中つ瀬ということになります。この中つ瀬に入って禊祓の検証を推進しようとしますと、いろいろな事が分かって来たのであります。先ず分かったのは――

八十禍津日の神、次に大禍津日の神。

禊祓に於て「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と不適当と否定された母音アとイの禊祓に於ける功と罪であります。

母音アの瀬の功罪の判明を八十禍津日の神といい、イの瀬の功罪の判明を大禍津日の神といいます。

二つの禍津日の神の意味は「古事記と言霊」の中で詳しく解説してありますので、ここでは簡単に説明しましょう。

八十禍津日の神の八十(やそ)とは八十ということ。菅麻音図を上下にとった百音図から図の如く向って右側の母音十個と左側の半母音十個を除いた八十個の言霊は現象に関する音であります。

この八十個の言霊の中で、上の五段に対応して下の五段にも同じ言霊が並びます。二つずつ同じ言霊がありますから、本来同じ現象内容を示す筈です。

ところが上と下とではその現象の意味がまるで違って来るという事になります。同じ言霊で示される現象だからそんな事は有り得ないと思われるでしょうが、実際にはそうではないのです。

身近なところで母親が幼い子を叱(しか)るという行為をとってみましても、母親の方に純粋な愛、人格と言ったものの自覚の有無によってその叱り方に雲泥の相違が出来ることです。

まして図の如く、上段は言霊の自覚者、下段は無自覚者と区別しますと、一見同じに見える行為・現象がその内容、効果、影響等に大きな相違が出る事が分かって来ます。また言霊アの次元の自覚に立つと、いろいろな現象の実相がよく見えても来るのです。

以上のような次元の自覚の有無、実相自覚の有無は物事を観察する上で重要な事であり、禊祓の行為の前提としては欠かせない必要な事です。

これはア次元の観察の功であります。けれど実相を見分けただけでは、すべてのものを摂取して、それを材料として生かし、文明創造に資する事にはなりません。これが罪となります。この功罪を見分ける事が出来た事を八十禍津日の神といいます。

大禍津日の神とは言霊イの次元、即ち言霊原理そのもので禊祓をしようとする時の功罪が分かったことであります。

言霊原理の存在がなければ、禊祓そのものが成立しません。けれど言霊原理を説いても禊祓は何の進展もありません。この言霊イ次元の禊祓に於ける功罪の認識を大禍津日の神と申します。

八十禍津日、大禍津日二神についての詳細は「古事記と言霊」を参照して下さい。

この二神は、かの穢き繁き国に到りたまひし時の、汚垢によりて成りませる神なり。

伊耶那岐の命が黄泉国に出掛ける以前には、高天原に於て何事が起っても、その物事の実相を言霊ア次元に於て見て、それをどう処理すべきかを言霊イ次元の言霊原理に照らして見るならば、自づと定まったのでした。

しかし体験の対象が黄泉国の汚垢(気枯れ)た文化ではそう簡単には行きません。八十禍津日の神の説明でお話しましたように、五十音図を上下にとった下段の五十音図から上段の五十音図に引上げなければなりません。

そのためにはイ段の言霊原理は禊祓の根本原理としながらも、それを表面には出さず(大禍津日)、また摂取すべき黄泉国の文化の実相を見ながらも、これをまた表面に出す事は差し控え(八十禍津日)、文明創造の根幹である中つ瀬の言霊オウエの瀬に於て、言霊原理に基づいた光の言葉(霊葉=ひば)、黄泉国の文化をその実相を損なうことなく闇の世界から高天原の光明世界に引上げることが出来る新しい息吹の言葉を創造の原動力としなければならないのだ、と気付いたのでした。

この事は伊耶那岐の命が高天原の文化とは全く異質の黄泉国の穢ない文化を体験したお陰の出来事であります。

次にその禍を直さむとして、成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

八十禍津日に見られるように、黄泉国の文化の実相を見極め、これを前面に公表すれば、その客観的な実相を対象として捉え、その改革によって人類文明に取り入れようとすることになります。

これでは黄泉国の文化をその有りの侭に摂取することにはなりません。また黄泉国の文化に言霊イ次元の言霊原理を当てはめて改革しようとしても、一方は主体文化、他方は客体文化という異質の文化でありますから、簡単にそれが通るものではありません。

大禍津日に見られるようにその方法で禊祓するのは到底無理であることは既にわかっています。

とするならば禊祓の本来の方法、即ち伊耶那岐の命が先に主体内に確立した建御雷の男の神の原理を指針として、黄泉国の文化を体験してしまった伊耶那岐の大神自身が奥疎から辺疎に変身することによって新人類文明創造を行う立場に帰らねばなりません。

それを可能にするには、先に述べました奥(辺)津那芸佐毘古の神、奥(辺)津甲斐弁羅の神の働きを満足させる原動力となる言葉が必要です。

そしてその言葉は八十禍津日の神の説明に見られるように、百音図の下の五段にある実相音を無条件で上の五段の高天原の世界に引上げる働きが備わっている言葉であるべきです。

更にその言葉は、黄泉国の文化を体験し、知ってしまったという過去の事実を今・此処(中今)に於てしっかりと受け止め、それにただ流されることなく、新しい生命の息吹を与えて将来の創造行為に展開して行くことを可能とする言葉でなくてもならないのです。

この条件を満たす言葉とは、一口に言えば、常に今・此処に展開して将来を創造する言霊とその原理に根差した光の言葉でありましょう。

伊耶那岐の大神はその様な言葉を発見するべく、自らの心の瀬の言霊オウエの三つの瀬である中つ瀬に堕り潜いて行くこととなります。

かかる言葉を言霊オ―ヲの流れに求めて発見する光の言葉を神直毘の神といい、言霊ウ―ウの流れに入って求めた光の言葉を大直毘の神と呼び、言霊エ―ヱの流れの中で発見した光の言葉を伊豆能売というのであります。

神直毘とは、言霊オ次元に属する黄泉国の学問のすべてを人類全体の学問として引上げることが出来る光の言葉の働きといった意味であります。

大直毘とは言霊ウの次元に属する黄泉国の産業・経済の産物を人類全体の産業・経済ルートに乗せ得る霊葉(ひば)の働きの意です。

そして伊豆能売(いづのめ)とは御稜威(みいず)の眼(め)の意であり、言霊エの次元にあって発揮される言霊原理の最高の光の言葉であり、人類が永遠に生きて理想の文明を築くための眼目となる働きという事であります。

参照図

http://homepage2.nifty.com/studio-hearty/kototama/futomani/fig193-1_2.html

●古事記「禊祓」について・その五

次に水底に滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。

次に底筒の男の命。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。

次に中筒の男の命。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。

次に上筒の男の命。

八十禍津日、大禍津日に於て、黄泉国の文化を世界人類全体の文明に摂取するには、黄泉国の文化を対象として考えて、いじくりまわすのではなく、光の言葉によってその文化を闇から光の世界へ引上げるのが適当だと分り、その実際の方法を求めて中つ瀬に入っていきました。

そして中つ瀬のオウエのそれぞれの心の流れの中で、光の言葉、言霊原理に根差した霊葉の働きを検討して神直毘(オ)、大神直毘(ウ)、伊豆能売(エ)が効果があることを知ったのであります。

そしてその効果が実際にどの様に現象として言霊に裏打ちされるか、の検討に入って行きます。

伊耶那岐の大神が禊祓の舞台としている天津菅麻音図は母音が上からアオウエイと並びます。

その中の上つ瀬のアと下つ瀬のイは禊祓の舞台としては適当でないことを知り、中間の中つ瀬に入りました。中つ瀬は言霊母音オウエの三本の流れです。

今度はその三本を区別するために、中つ瀬の水底、中、水の上の言葉を使っております。水底はエ、中はウ、水の上はオの心の流れであります。

次に水底に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。次に底筒の男の命。

中つ瀬の水底である言霊母音エの流れに於て伊豆能売という光の言葉の原動力を発現しますと、黄泉国の文化並びに社会全体が見事に高天原の光の社会に引上げられ、摂取・融合されて行くことが確認されました。

この確認・証明を底津綿津見の神と申します。そして摂取・融合の過程が明らかに現象子音によって確認されました。言霊エ・テケメヘレネエセ・ヱのエよりヱに渡す八子音であります。

現象子音によって確認されたということは万人等しく認める形で検証されるということであります。

この高天原文明への引上げの過程の八子音の連続の並びは、あたかも一本の筒(チャンネル)の形をしていますので、底筒の男の命と名付けられました。

また名の終りに「男」の一字が附せられたのは、この子音の列の確認が禊祓を実行する人の生きた心の中今に於て行われることを示すためであります。

中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。

中つ瀬の水の中は言霊ウ段です。この次元に於て大直毘の神という光の言葉の原動力が働くと黄泉国の産業・経済の領域のすべてが高天原の人類文明にそのままの姿で引上げられることが可能である、の確認を得たのでした。

この確認を中津綿津見の神と申します。またその光の世界へ引上げられる過程の現象が言霊子音でウ・ツクムフルヌユス・ウとなることが分ったのであります。この言霊八子音による確認を中筒の男の命と申します。

水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。

中つ瀬の水の上は言霊オ段です。この次元に於て神直毘の神という光の言葉が働きますと、黄泉国の客観的学問とその文化のすべては世界人類の光明の文明の中に摂取されることが確認されます。

この確認を上津綿津見の神といいます。また摂取されて世界文明の一翼を担うようになるまでの経過が言霊子音によってオ・トコモホロノヨソ・ヲの八音で示されることが確認出来たのでした。この黄泉国の文化を高天原の人類文明に引上げる経過の八子音による確認を上筒の男の命といいます。

以上、八十禍津日の神より上筒の男の命まで十一神の解説をして来ました。御理解を頂けたでありましょうか。

禊祓の法が三柱の綿津見の神によって黄泉国の文化が高天原の人類文明に摂取されて行くことの可能性が検証され、その摂取の経過が現象八子音のチャンネルとして裏付けられました。

かくお話しますと、読者の皆様には、裏付けの三連の八子音、テケメヘレネエセ(エ段)、ツクムフルヌユス(ウ段)、トコモホロノヨソ(オ段)の配列であることが今始めて発見・確認されたように思われるかも知れません。

けれど正確に申しますとそうではありません。そこが古事記神話の撰者太安万呂の文章の巧妙なところだと言えるかも知れません。

伊耶那岐の命はとっくの昔に「そうであろう」事を知っていたのです。伊耶那岐の命は自分一人で、主観内真理である建御雷の男の神を人間精神の最高の心構えとして確立し、その時既に新生の文化の摂取がこの八つの子音の経過を以って実行可能であろうことを自覚していたのです。

であるからこそ、伊耶那岐の大神となって黄泉国の文化の禊祓をするに当り、その行法の指針として自らの主観内真理である建御雷の男の神なる原理を衝立つ船戸の神として斎き立てたのです。

その結果、黄泉国という初対面の文化の摂取にも予想と同様の子音の配列が示す結果を得たことにより、主観内真理である建御雷の男の神なる原理が、何時、何処に於ても、また如何なる文化に対しても適用して誤りのない、主観的と同時に客観的な、即ち絶対的真理であることの検証が成就したのであります。

底津・中津・上津綿津見の三神と底・中・上筒の男の三命によって禊祓の行為が人類文明創造の絶対真理であることが証明されましたので、古事記の神話は一気にその総結論である天照大神、月読の命、速須佐男の命の三貴子(みはしらのうずみこ)の誕生に入ることになるのですが、実際には古事記はその間に一見なくてもよい様な挿話を文庫本で三行程入れてあるのです。

この挿話がスメラミコトの人類文明創造に当たって重要な意味を持っているのですが、その解説と三貴子誕生の話は次の機会に譲ることといたします。

●古事記「禊祓」について・その六

古事記の神話が教える禊祓、言い換えますと世界人類の文明創造の方法が先月号で説明しました底津・中津・上津の綿津見の三神と底・中・上筒の男の三命によって主観的であると同時に客観的な、絶対的真理であることが検証されました。

この事によって神話は直ぐに神話の総結論である天照大神・月読命・速須佐男の命の三貴子の誕生に移るかと思われますが、実はその間に文庫本で三行程の文章が挿入されているのであります。

その事について解説を申し上げることとします。先ずその文章を掲げます。

この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。

この三柱の綿津見の神は阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)神なり。

底津・中津・上津の三柱の綿津見の神は後の世の阿曇の連等が自分達の先祖の神だとしてお祭りしている神です、ということです。

神話の総結論である三貴子の神々が誕生する前に、何故結論とは関係ありそうにも思えない阿曇の連という後世の一族のことなどを挿入したのでしょうか。

その疑問に対しての答えはただ一つ「後世、言霊の原理が人類の意識に蘇(よみがえ)り、言霊の原理に基づく文明創造の時が来る時、その創造を司(つかさど)る政治の庁の基本的なやり方を示唆するため」であります。

何故そのように言い切れるのか、を少々説明いたします。

三柱の綿津見の神と阿曇の連とはその名前では無関係のように思われます。けれど言霊学に則って見ますと意味・内容が同じであることに気付くのです。

綿津見の神とは、底津・中津・上津共に禊祓の出発点より終結点まで渡して(綿津)新文明の創造の中に取り込んで行く働きの事です。

しかもその働きの経緯は底津(エ段)・中津(ウ段)・上津(オ段)共にテケメヘレネエセ・ツクムフルヌユス・トコモホロノヨソと底・中・上の筒の男の命が示す八個の現象子音によって明らかに示されました。

次に阿曇の連はどうでしょうか。連は昔の身分、官職を表わす名です。阿曇とは明らかに続いて現われるの意です。とすると、綿津見と阿曇は禊祓という文明創造の行法(政治)に於ては同意味の事柄ということが出来ます。

では三柱の綿津見の神が阿曇の連が祖神と斎く神だ、という文章は何を表わそうとしているのでしょうか。

神話に於ける子とか子孫とかいう場合は、神が原理を表わす時、その子または子孫とはその原理や力の運用・実行者であることを示しています。

以上のことを頭に留めておいて、次の古事記の文章を読みますと、その間の意味が更に明瞭に理解されて来ます。次の文章の初めに「かれ」とありますのは「それ故に」という意味で、両者の関係を更に敷衍して述べられていることが分かります。

かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。

綿津見の神の子宇都志日金拆の命、とは何を意味するのでしょうか。宇都志日金拆の(うつしかなさく)命とは、宇は家(いえ)です。

また五重で人の心の住家の意です。宇都志の都は宮子(みやこ)で言葉のこと、志はその意志またはその意志による生産物を示しています。また宇都志で現実の、をも示します。

宇都志で人間が住む世界全体の生産する文化ということであります。その世界全体の生産する文化を、日(言霊)の原理に基づいて金拆(かなさ)く、即ち神の名である大和言葉に変換して咲かせる、の意であります。

先に禊祓の奥疎から辺津甲斐弁羅に至る六神に於てお話いたしました如く、禊祓の出発点から終着点に導くためには、それを可能にする原動力となる言葉の力が必要でありました。

また大禍津日、八十禍津日の項で学びました如く、五十音図を上下にとった百音図の下の五十音が示す外国(黄泉国)の文化を、上の五十音図(高天原が統治する言霊原理に基づいて創造させる人類文明)へ引上げるためには神直毘・大直毘・伊都能売の光の言葉が大切だと分かりました。

禊祓を完成させる光の言葉(霊葉[ひば])の御稜威によって禊祓は完全に可能であるという証明が綿津見の神として成立したのでありました。

その言霊原理の絶対の真理の確証が成立する事を示す三柱の綿津見の神の子である宇都志日金拆の命とは、現実の人類世界を統治する天津日嗣スメラミコトの世界文明創造の政庁の中の、外国の文化を人類文明に組み込んで行く役職のことであり、その実際の方法が、その役職名が示す如く、外国の文化を言霊原理に則り、大和言葉に宣り換えて行くことなのだ、ということを明らかに示しているのであります。

阿曇の連とはそれより更に後世に於ける朝廷内の同様の役職名であるということが言えましょう。

因みに民間歴史書である竹内古文書にはこの宇都志日金拆の命のことを萬言文造主(よろづことぶみつくりぬし)の命と書いてあります。

スメラミコトの世界文明創造とは簡単に表現すれば、外国の文化を言霊原理に基づいて日本語に宣り直して行くことだ、ということが出来ましょう。

この禊祓の原理を実際の政治に運用する方法として後世に伝えんとする意図が文庫本で三行の挿入文となって書かれたのであります。

その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。

挿入文には更に右の文章が続いております。底・中・上筒の男の命の三神は墨(統見・総見・澄見)[すみ]である言霊原理の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)即ち天照大神・月読命・須佐男命三神(三)という精神の最高規範(慧・江[え])が生まれてくる前提(前)となる大神であります、の意。

禊祓の神業によって外国の文化の一切を光明の高天原の人類文明の中に摂取して行く創造行為の最高の規範の確認は、底・中・上の筒の男の命で示される言霊子音による検証という前提を経て初めて承認されるのだ、ということであります。

高天原と黄泉国という両精神界の境に置かれた千引き石(道引の石)[ちびきいわ]とは、厳密に言えば、底筒の男(エ段)、中筒の男(ウ段)、上筒の男(オ段)にア段を加えた子音三十二個の言霊のことなのです。

以上、三柱の筒の男の命と三貴子誕生との両神話の間に挿入された文章について説明をいたしました。

古事記神話の撰者の並々ならぬ細やかな意図を御理解頂けたでありましょうか。かくて禊祓の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)の誕生の話に移って行くこととなります。

●古事記「禊祓」について・その七

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名(みな)は、天照(あまて)らす大御神(おおみかみ)。

次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。

次に御鼻(みはな)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐(たけはやすさ)の男(を)の命。

人間天与の五つの性能、言霊ウ(産業・経済)、オ(学問)、ア(芸術・宗教)、エ(政治)、イ(言葉)の中で人類文明に最も直接に関係するものと言えば、言霊ウの産業・経済と言霊オの学問、それに言霊エの政治活動の三現象でありましょう。

禊祓の行によってこれら三性能の活動の最高理想の行動原理となる規範(鏡)が結論として完成しました。

その典型的な規範に対して名付けられた神名が天照らす大御神(エ)、月読の命(オ)、建速須佐の男の命(ウ)の三柱の貴子(うずみこ)であります。それ等三神の親は伊耶那岐の大神です。

太安万呂はこの三貴子の誕生を説明するに当り、親である伊耶那岐の大神の顔の目鼻の配置を利用しているのであります。安万呂の面目躍如たる所であります。即ち伊耶那岐の音図である天津菅麻[すがそ]音図の母音を上にした五十音図を顔に見立てたのです。図を御覧下さい。

伊耶那岐・美二神によって言霊五十音図が出揃った後、伊耶那岐の命のみで、五十音言霊を整理・点検して、主観内に於て完成した理想の音図の建御雷の男の神と呼ばれた音図、その主観内自覚の音図を禊祓実行の指針として掲げた衝立つ船戸の神と名付けられた音図、そして禊祓の実行・検証の結果、主観的であると同時に客観的な、即ち絶対的な真理と確認された音図が完成されました。

この音図を天津太祝詞(音図)といいます。この五十音図全体、またはその五十音図の言霊母音エの段の配列を称して天照大御神と呼びます。実体はエ・テケメヘレネエセ・ヱの十音です。この音図のオ段、オ・トコモホロノヨソ・ヲの十音を月読の命と呼びます。更にこの音図のウ段、ウ・ツクムフルヌユス・ウの十音を建速須佐の男の命といいます。

「コトタマ学」会報の五ヶ月にわたりお話申し上げて来た言霊学の奥義ともいうべき禊祓の大行についての解説の大略を終了させて頂くこととなります。

日本人の大先祖である皇祖皇宗の高遠偉大な言霊学をお伝えするには如何にも力不足の域をまぬがれ得ないのでありますが、少しでも読者の皆様の御理解の役に立てばと一所懸命にお話させて頂きました。

有難う御座いました。話の対象が大方人間の精神内の事柄でありますので、幾度、幾十度と自らの心の内を反省して、心中に見ることが出来た実相についてのお話であります。

反省を繰り返す度毎に新しい事実が、また当然気付くべきことで見落としていた事実を発見することとなります。

気付いたこと、新しく発見したことはその都度、会報誌上に発表し、皆様にお伝え申し上げているのでありますが、今月の会報まで百九十四号がすべてその繰り返しだと申しても過言ではありません。

このような牛歩の筆を今後共御声援を賜りますようお願い申し上げます。

さて一連の禊祓の話を終らせて頂いた眼で言霊学に関係ある種々の事柄を見廻しますと、そこにまた幾多の新しい事に気付きます。それ等の事の一、二についてお伝えしてみたいと思います。先ず初めに取り上げますのは奈良の石上神宮に三千年もの長い間伝承されているといわれる布留の言本(ふるのこともと)、日文(ひふみ)四十七文字についてであります。

日文(ひふみ)四十七文字とは人間の心を構成する四十七言霊を重複することなく並べて禊祓、即ち人類文明創造の方法を説いている文章なのです。称え言(となえごと)でもなく、祈りの言葉なのでもありません。

「時が来たならば、人類の歴史創造はかくの如くせよ」という教訓であり、予言でもあるものなのです。日文四十七文字を書いてみましょう。

ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ

人類の命運に関(かか)わる重大な教えであり、予言でもあるものを、そんな言葉の魔法とも思われる文章に仕立てて遺さなくてもよいではないか、またそのような文章など作り得ないはずだから、日文自体に実は何の意味もない四十七文字の単なる羅列に過ぎないのではないか、と思われる方も多いことでしょう。

ところが、どうして、どうして言霊四十七音を重複なく並べたこの布留の言本(こともと)日文四十七文字はまごうことなく人間の心を構成する言霊四十七音を使って、言霊原理に基づき人類の文明を創造して行く大行、即ち禊祓の方法を余すことなく教えている言葉であることが、今回の禊祓のお話を終了した時点で掌に取るごとく明らかに確認することが出来たのであります。私達日本人の祖先の英智の高邁さ、霊妙さを改めて認識した次第なのです。

日文と私との馴初(なれそ)めは、私が言霊学を先師小笠原孝次氏に師事して十年近く経った頃です。

ある日、先生は「島田さんも言霊の理論には通じて来られたから、一つ宿題を出しましょう。奈良の天理市の石上神宮に三千年前から伝わる布留の言本、日文四十七文字があります。江戸時代末の頃、平田篤胤[あつたね](国学者)が心霊的に解釈した以外には未だにこれといった解釈がなされていません。

この日文を考えてみてはどうですか。」と言われたのが始まりでした。「三千年間、未だに……」というのですから私は張り切って引き受けました。一九七○年代前半の頃と記憶しております。引き受けてはみたものの、日文を何回となく読み返してもどうしたら解釈らしいものが出来上がるのか見当もつきません。

「ヒフミヨイムナヤコトモチ」とは

「一二三四五六七八九十の十拳の剣(とつかのつるぎ)を以って」の意味だ、ということは分かるのですが、「ロラネシキル」が全く分かりません。

「シキル」は仕切るの意であろうと思われますが、「ロラネ」は見当がつきません。「ユヰツワヌ」もはっきりしません。

「ソヲタハクメ」は多分「それを田葉(たは)である五十音図の中の言霊で組んでみよ」であろうと解釈しました。「カウオエニサリヘテ」がまた見当がつきません。

「ノマスアセヱホレケ」の「ノマス」は多分「宣(の)べよ」であり、「アセ」は「ア段の川の瀬」と思われるけれど、文書が前後にどのように続くのか不明です。

「ヱホレケ」は全く不明。これではどうにもなりません。歯が立たないとはこのことをいうのでしょう。

試行錯誤の中に一年余りが過ぎました。薄ぼんやりとした思考の中に光明が差し込んで来ました。先師が画いた十七先天言霊(天名[あな])と三十二の後天子音言霊(真名[まな]・神名[かな])によって示される思考の循環図(「古事記と言霊」107頁参照)の意味と内容が少しずつ自身の心をのぞく事によって理解が深まって来るに従い、それまで見当もつかなかった「ロラネ」や「ツワヌ」、更に「カ」の一音の意味が次第に分かって来たのです。

と同時に日文四十七文字の言霊の列が指示する内容がおぼろげながら一連の文章にまとまって来ました。文章にまとまって来たと申しましても、それは言霊学という理論より推理した「言霊学の運用」という理論に過ぎません。

勿論、それは現在お話申し上げているスメラミコトの世界人類の文明創造の実行行為(禊祓)の実際の心理描写なのではありません。けれど一応は先生からの宿題は果たした事となります。

私はその解釈の文章を清書して先生に提出しました。(「言霊」随筆集「日文」参照)それを読み終わった先生は「まぁ、こんなものでしょうな。御縁ですからもう一つ清書して石上神宮の神主さんに送って差し上げたらよいでしょう」と言われた事を記憶しております。

言霊原理による禊祓が明らかにスメラミコトによる世界人類の文明創造の手法であり、その手法の一つ一つの過程を詳細に皆様にお伝えすることが可能となった現在、改めて石上神宮の布留の言本、日文四十七文字を見ますと、禊祓の手法を言霊四十七音を以って正確に指示、教示したものであることを知ることが出来るのであります。

現在明らかになった禊祓の行の心理の過程に基づいて日文四十七文字を区切り、その一節々々を指示する古事記の神名を以ってその分担を表わしますと、次のようになります。

ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキル

伊耶那岐の大神、衝立つ船戸(つきたつふなど)の神、道の長乳歯(ながちは)の神、時置師(ときおかし)の神、煩累の大人(わずらひのうし)の神、道俣(ちまた)の神、飽昨の大人(あきぐひのうし)の神。

ユヰツワヌ

奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこ)の神、奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神、辺(へ)疎の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。

ソヲタハクメ

大禍津日(おほまがつひ)の神、八十(やそ)禍津日の神、神直毘(かむなおび)の神、大(おほ)直毘の神、伊都能売(いづのめ)。

該当神名なし。

ウオエニサリヘテノマス

底津綿津見(わたつみ)の神、中津綿津見の神、上津綿津見の神、底筒(そこつつ)の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命。

アセヱホレケ

天照大御神、月読の命、建速須佐の男の命。

参照図

http://homepage2.nifty.com/studio-hearty/kototama/futomani/fig194.html