07 原文がそのまま目次、心の手順となる

古事記の冒頭原文をそのまま心の目次とする

古事記の冒頭は心の原理論ですから、そのままが心とは何かの目次となります。

それを心の今とは何かととれば、イマココの瞬時のことが百神で語られ、一瞬とは百神を語り終えた時に了解できるものとなり、数ページに渡って書き下されたものが一瞬というものの姿であることが明かされます。心と心の成すことは常に古事記の冒頭とおりに現われます。

ただそこには解説し説明する者の力量と経験不足があるだけで、考え抜いて追加するものとか、思い付きや科学の発展や新発見などで見方が変わるなどというようなこともありません。人類の思惟と思惟規範の創造行為は常に古事記の下位にあり、宗教や聖人たちの言葉は常に古事記によって裏打ちされるものとなります。

古事記は人類にとっての至宝ですが、今までの解説では単なる歴史書でした。明治天皇から始まったフトマニ言霊としての読み方は敗戦後民間に流れ、今度は好き勝手なことが付け足されることになりました。近年は小笠原孝次氏と島田正路氏によって、古事記はコトタマ学であるとの本来の姿に戻されました。

---------------------------------