02 子事記神話の謎々-古事記の心道

まえがき

古事記神話の謎々

古事記というのは、ご存知でしょうが、日本語に宛て漢字をして書かれた文章なのです。日本語の文章を書いたんだから日本語かっていうと、全然ちがうのです。それじゃあ漢字が書いてあるから漢文かっていうと、またちがうのです。

ただ漢字をあてはめたんです。ちょうどわたくしなんかがね、中学に入ってはじめて英語を習うときに、「I am a boy.」なんて、わからないから「アイ アム …」と仮名でふりがなをしましたが、それと同じようにしたのです。ただ日本語に漢字というルビをふったということなんです。ですから、ふった人はわかっているでしょうけれども、あとから見たら何の文章だかさっぱりわからない。

万葉集も同じです。万葉集にはいまだに何首か、どう読むか解けない歌があるんです。それは、千年近く前には、現代の日本人がため息をつくような難しい漢字がたくさんございましたので、それをむやみやたらとあてはめて日本語を作ったものですから、今の国文学者も漢文学者もどう読むのかわからないのです。

それと同じに、古事記も全然わからないままで数百年を経過したのです。それで、江戸時代の末近くになって、本居宣長っていう方が「日本の最古の本を日本人が読めないとはなにごとだ」と言って、古事記を読める日本語に直しだしまして、一生の仕事として『古事記伝』というものを完成して、それではじめて日本人が古事記を読めるようになったのです。

それから数百年が経つんです。ところが、その頭の良い本居宣長も、この漢字をあてはめて書いた古事記の作者である太安麻呂さんの頭にはかなわなかったのです。

なぜならば、古事記という神話が謎々なんだということまでには、どなたも気がつかなかったのです。荷田春満(かだのあずままろ)ですとか、平田篤胤(あつたね)なんていう幕末の錚々たる国学者も、古事記の本当の内容はわからずに済んでしまったのです。

それで、明治のはじめに、言霊学があるんだということを明治天皇と奥様がお気づきになって、宮中の賢所というところにある古い文献と、賢所に納まっているいろんな器物のなかにたいへんなものを見出して、その結果、古事記というのものは神様の物語という形をとった、日本古来の言霊の学問だということに気がつかれたのです。

以来、徐々にその意味がわかってまいりました。それで最後に昭和44年、わたくしの先生の小笠原孝次という方が、はじめてこの古事記の意味を真正面から解釈しまして、それで言霊の学問としての体裁を著した本が世の中に出たのです。

それが『古事記解義 言霊百神』という本でありました。

《 人間の顔の真ん中に鼻があるのは何故だ

のお答が出来る人はまずいらっしゃらない。これはそうなっているということだけであって、先天構造はこういうことになっているんだなとだけ受け止められて、次から考えを巡らしますと出来事から先天が分かってまいります。》

(島田正路)

【 古事記 】

古事記の神代の巻は神々の名を借りた私たち各人の心が働いて、心の事象を創造する私たち自身の心の成長物語です。心の全容を解明した古代大和のスメラミコトの残した至極の思想を暗喩、呪示の形でまとめた全人類の至宝です。

また同時に古事記はこころが精神現象をこころの子として創造していく過程を記したもので、歴史や神代のフルゴトを語ったものではなく、理想的なこころの運用とこころの現象創造ができるように次元をあげていく方法を語ったものです。

神と示された多くの名前は、自然やその他の畏れ敬いの神格化ではありません。こころの働くそれぞれの場面の様相実体を神と名付け暗喩指示に都合の良い名前を借りたものです。ですので古事記の神代の巻は謎々で書かれており、「記」をツケと読めば古事記はコジツケとして読まれることになります。このコジツケで読まれた内容こそ、こころの原理を明かしスメラミコトによる今後の世界朝廷運用の原理ともなるものです。

神代の巻の思想はフトマニと呼ばれ占いのことではなく、スメラミコトの修得すべきもので、いつか復言、かえりごと、されるものとして謎々の形で隠されていました。明治天皇から始められたフトマニ思想の復原はその後の天皇たちには伝わらず民間に流出しました。とはいっても民間には多く降臨お告げ神示などの形をとっているので古事記、神道、心道の 真意は謎をそのまま受け継いでしまいました。

しかし素晴らし事に、神代の巻がフトマニであることを示す文献が皇室の賢所に秘蔵されています。

神代の神々の名前がアイウエオに対応して記されています。

これさえあれば、大和のスメラミコトによる世界運用へ至る道は間違えありません。

天皇皇室にはそれを支えるための多くの儀式行事や言葉が残されています。

古事記の謎々

古事記(上巻神代の巻)は人間の心の成り立ちから、心の理想的な運用までを書いています。

ですので世界の人の為の人類の秘宝、至宝となるものですが、書かれた言葉が倭ことばなので大和の日本語を知っていることが必要です。

日本語を知らなくても翻訳で読めるだろうと思うかもしれませんが、理想的な心の運用にはどうしても日本語でなくてはならず、日本語はそのための世界に類例のない特別に造られた言葉であることが隠されています。

古事記はその全体が秘密の言葉謎々で書かれています。例えばその名前からして謎がけしてあり、古事記=子事記、人が生きて成す子という現象を生み創造活動をする事を記した書、心の事を記したということで、さらに凝ったことには、記を「つけ」と読むと心の創造現象を記した故事つけという読みになります。

冒頭の「天地」からして謎がけがしてあり、古事記を心の原理論と読ます仕掛けがしてあります。

天地は「あ・め・つ・ち」と読み、吾(あ、わたし)の、眼(め・意識)が、付(つ)いて、地(ち)に成る、という心の原理論の始まりを、世界の始まりに託して隠してあります。

現象を創造していくというのが心の働きで、人の生きること言葉を話すことですから、子の事を記す、つまり、天地に生きる、吾の眼が付いて地に成ることが繰り返し繰り返し書かれています。

神様の名前がづらづらっと出てきますが、全て心の実体や働きを謎の言葉で説明しているもので、心の在り方を示した謎ですから、実際にそのような古事記の神様がいるわけではありません。言い換えれば心の在り方を神と名付けたので、心の持ち主はわれわれですから、われわれが神ということです。神道は正しくは心道になるでしょう。

日本語には五十音図がありますが、この五十音が古事記の冒頭の神々五十神のその名前による隠れた説明になっています。日本語を知っていればこの五十音で世界宇宙のこと、自他のことを知り述べることができますが、古事記の冒頭五十神によってできるということになります。

また冒頭から神名を五十神数えると五十音の言霊に対応して言葉の要素を形成していますが、その後の五十神をまた勘定しますと、その五十によって、言霊の要素を運用するようになっています。

この要素と運用神が完成しますと、伊耶那岐の大神は「いたく歓喜する」と書かれています。

古事記の神代の巻はこの百神の心の様相を記したものです。

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各自のこころは一つしかないように古事記の神も一つしかなく、その心の始めを【天の御中主の神】と名付けました。この一つのこころ(神)が各場面各次元において、剖判していき成長発展逸脱飛躍を示し、理想的な意識の運用規範を獲得するようになっていきます。

こころの各場面での宇宙世界のありかたを神の名を借りて八百万に当てはめたので、自然現象への 畏れ敬いから神を生んでいったのではありません。古神道のアニミズム以前に数千年の古代大和の文明社会がありました。これは原始古代人の文明社会ということではなく、人間社会と自然の運行との相違ははっきり理解されていて、自然の畏れや神格化は必要なことが無かった健全な精神社会がありました。それは神話以前の民話に幸福な社会の痕跡として残っています。

古事記の思想はそのアニミズム時代以前には完成していて、既にかえって数千年後の世界社会を見据えていました。

世界各地に日本と日本語の片鱗共通性が見付かりますが、これは古代におけるスメラミコトたちの世界運用の名残りです。

現在フトマニ学は言霊(ことたま)学と呼ばれます。

古事記の記述の特徴は前後の関係が、前承する上昇螺旋循環なので、雪ダルマのように核を中心に剖判して造られた主(ぬし)が成長していきます。ヌシが成長して上から下から縦横からその他から見られるようになるとそれぞれの神の名前が付けられるようになります。

前者はそれぞれ後者の内容となって、抱卵し孵していきます。形成された後者が次段の抱卵となります。

空即是色と色即是空の剖判と統一が繰り返されますが、仏教のように実体としてとらえるのではなく、先天と後天、それの働きと実体・いきさまとありさま、ととらえると理解しやすいと思います。

古事記の冒頭三貴子までがこころの原理論で、スメラミコトの用いる実践思惟規範を手にするところまでになります。ここまでがこころのうごき、意識の一循環を示しています。ちょうど百の神名が出てきます。具体的に言えば「ありがとう」の「あ」という一言をを間違えなく言って了解するのに百神の過程があるということです。一秒の数分の一を説明するのに百神を用いたということです。

ここまでの経過はどこの地点経過も無視することのできない一つの全体となっている原理です。現代までに誰も成し遂げたことが無い古代スメラミコトの偉業です。

この偉業のあらわれを図にしますと八千年以上前から存在するアイウエオ五十音図になります。古事記の百神は音図の説明でもありますから誰でも知っているこの至宝を座右に置いておくと非常に役立ちます。

原理を現すのに百神で示されていますが、その中核は冒頭の十七神です。

さらに核心となるのが造化三神で、それを一言で示すと、天地・あめつち・という言葉になります。

あめつちは、ア(吾)のメ(眼・意識)を付(ツ)けて智恵(チ)と成すを謎で呪示したものです。

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