02 (イ)・チイキミシリヒニ。たかまはらの使用法。

(イ)・チイキミシリヒニ。たかまはらの使用法。

(イ--意思の発動)

チ--ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)

イ--以ちて、(や行のイ) 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。

キ--伊耶那岐の命

ミ--伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、

シ--「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め

リ--成せ」と、

ヒ--天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、

ニ--言依さしたまひき。

(ヰ--意思の帰還)

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(イ--意思の発動)

チ--ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)

イ--以ちて、(や行のイ) 妹須比智邇(いもすひぢに)の神。

「 それ等の神々の命令を受けて」

ここに天津神諸の命以ちて、

「神様が命令する」のではなく、「神様自身が活動する」と変えてみると言霊学の文章が成立します。「さてここで先天で十七神が活動を開始しまして……」となります。(なりさま、実体側)

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妹須比智邇(いもすひぢに)の神。 (ウの性質) 全体性。 なりさま、実体。今-今。

動き出した力動が持続する韻

「上の言霊イは母音のイではなく、ヤイユエヨの行のイであります。」

「父韻イとは「父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行く力動韻」という事が出来ましょう。ここに力動韻と書きましたのは、心の奥の奥、先天構造の中で、現象を生む人間生命の根本智性の火花がピカっと光る閃光の如き動きの意であります。」

すべからく智に比ぶるに近かるべし。智による選択に依らずとも相手対象のなりさまと成る。智慧の選択に比べることなくそのまま持続すべし。

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言霊チによって動きの胎動が与えられ、チが騒ぎ天津神が動き出しました。

しかし動く相手は誰だか分かりません。私に向かって動いてきたのなら私になり、あなたに向かへばあなた、あっちの誰かに向かえば誰かになるというように、天津神の勝手です。そこでもたらすものも、私には屁をもたらすか、あなたには疑問をもたらすのか、あっちの誰かには神感情をもたらすか、まるきりそれぞれの人は知り得ません。

考え事の最中にそのテーマに沿った思い付き閃きがくれば儲け物ですが、それにして自分で見つけたり考えたりしたものではなく頂き物であるのが普通です。

さて言霊チの胎動が有ったところで、有るというだけでは何にもなりません。有るという今現在はすぐさま脱落して過去になります。そこで有ることの持続、有り続けることが必要です。とにかく有り続けるなければならないので、何がどうして動野という有り方は問いません。

注意して神名を見てください。ただし、こんな変てこな名前の神様の実体を探したところで無駄です。どれだけ智慧の有る学者を集めても分かるわけありません。こんな神は元々いないのですから。どこかにいる神様とか何かの表徴とか比喩とか実体とかを見るのではありません。心の動きです。

智慧の選択に比べることなくそのまま持続すべし、つまりごちゃごちゃ言わないでやってみろと言われ言う時の、その中に有る心情の持続、有るものは有る、やるものはやる、見るものは見ると言うその時の、飛んで行く矢の持続の心持ちがあります。

今有るものを未来へ運び入れる力動因のことです。

「(イ--意思の発動)・」であげた、父韻の配列の「イ」の位置を見てください。

「ウ」次元での父韻の配列。

○・キシチニヒミイリ・○

あ・かさたなはまやら・わ

「オ」次元での父韻の配列。

○・キチミヒシミイリ・○

あ・かたまはさなやら・わ

「ア」次元での父韻の配列。

ア・チキリヒシニイミ・○

あ・たからはさなやま・わ

「エ」次元での父韻の配列。

ア・チキミヒリニイシ・ワ

あ・たかまはらなやさ・わ

全て父韻の配列が終了する直前にあります。(終わりから二番目)つまりこれは終わりの仕方を指示するものです。

意思の発現のチイキミシリヒニにおいてのみ「イ」は二番に来ていて、ここでは終わりの仕方を指示するものではなく、心の始めを指示するものとなっています。

それがために、、始めの「チ」で人間主体にまとわり付いた「チ」の何だかしれないいずれかが、その人自身も知らず知らずの内にその人を形成するということになります。

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(今現在論は後に展開する予定です。)

「今」が未来に続くわけ。

「今」という瞬間の様相は、

(お) 過去-今

(う) 今-今

(あ) 過去-今の全体

(え) 今-未来

(い) 上記全部

という諸相があります。これは普段はこのように分断していることはなく、意識もされていません。