日蓮の沈黙

それから又、数百年経った鎌倉時代の日蓮さんのお話しでございます。蒙古が大群を引き連れて日本に攻め入ってきた、数百艘の船団で二度攻めてきました時代に「念仏間、禅天魔、真言七国、律国賊」と言って、当時流行していた宗教の流派を尽くけなして、国難の時代に個人を救う宗教では間に合わない、法華経のみが敵を追っ払う最終的な宗教であると唱えた。

幕府の勘気に触れて打首の処刑される、その時に落雷して大刀が砕けてしまった。それで佐渡に流されました。何故そういうことになったかと言いますと、日蓮さんと言う方は法華経の勉強をなさっていて、ある時に伊勢へ25日間参堂した記録がある。

参堂は絶食状態で行に入るわけですから、25日間参堂した末に、荒木田某という神官に付いて言霊の原理を勉強した。というわけで法華経は日蓮さん独特の言霊の原理で観た法華経を奉じて千葉県の外房にある清澄山に登って眼下には太平洋、そこから昇る太陽へ向かって「南無妙法蓮華経」と言って日蓮宗を興したことで有名です。

2015年02月19日

日蓮さんが伊勢へ参堂して言霊の原理を習ったことは大概の方はご存知ない。それが真実であるということは、佐渡に流された時にお弟子さんの三沢某という侍に送った手紙が現存しており、文面を読みます。

我に付きたりしものどもに、真の事を言はざりけると思いて、佐渡の国より弟子共に内な申す法門あり。 此は仏より後、迦葉(かしょう)、阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親・天台・妙樂・伝教・義親等の大論師、大人師は知りて而もその心の中に秘めさせ給ひて、口より外に出し給わず、其の故は仏制して言ふ、我滅後末法に入らずば此大法言ふべからずとありし故なり。

日蓮は其使にはあらねども其時刻にあたる上、存外に此大法をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまで、先づ序文にあらあら申すなり。而るに此の大法出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は、皆日出でて後の光、巧匠の後に拙なきを知るなるべし。此時には正像の寺堂の仏像僧寺の霊験は皆消え失せて、但此の大法のみ一閻浮堤に流布すべしと見えて候。

訳しますと一一

自分に付いてきた法華経信徒に本当のことを未だ言っていないということに気付いたので、佐渡より弟子たちに内々ではあるが申し上げる教えがある。迦葉、阿難等々は知ってはいたけれど言うべきではないと口の外に出したことはない。言霊の原理を研究しなくてはならない、言霊を復活させる第一人者ではあったがその時機ではなかった。言霊の原理をほとんど知らずに亡くなられた。その理由は仏が死んで末法の世にならなければ、この大法は人に告げてはならない。

日蓮はその使いではないけれど末法に入ったので本当の聖人が出るまでは私が序文をお伝えする。念仏とか、真言とか、蓮華経とか、日本に今ある宗派の法門はお日様が出た後の蝋燭の光である。名人の彫物師の後に出たそんじゃそこらの彫物師が彫ったようなもので拙くて見てられない。この時には正像の寺堂の仏、その仏像、僧等が現す霊言は皆光を失ってしまって、この大法のみ人類社会に語り継がれて要を為すであろう。

「日本と世界の歴史」講座(H17年8月・会報207-03)